対象喪失の研究つづき

 

ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館 [DVD]

ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館 [DVD]

 

 ダニエル・ラドクリフのわざとらしいモミアゲが気になって笑えて仕方なかったのだけれど小道具の細やかさと、黒衣の女のインパクトがそれを凌駕しました。

ポルターガイストにぼんやりに沼からこんにちはに窓ドンとかキャーとかフェイントとか、日本的な古典ホラーでわかりやすく、シックスセンスやリングなんかのパロディも鑑みて楽しかったけど、お金のにおいがぷんぷんしたから、今度は原作で読みたいなあ。

そんで、やっぱりこれは、悼むお話なんだ、って感じて、彼女を哀しく思いました。

奪われたと憎み悲しみ続ける悲しみの象徴黒衣の女。妻を失った主人公、息子を失った老夫婦、部外者を追い出したがる村、部外者だって悲しみを連れているのに、排斥しようとする、なんでなんだろう?

一人暮らしをはじめてから思うけど、年齢を重ねた方々ほど、よそ者への風当たりが強いように感じる。物事を不吉とか、吉とか、迷信的な思考をした人が多いからなのか、年齢に比例した喪失の数が、悲しみに対する感受性を鋭くしているのか、たんに心配しているのか、言葉が多いのは、生き延びてくる上で培った耐性なのか。他人を排斥して仲間意識を高めるのは常套句だけど、これも、対象形成、治療の一環なんだって気づいた。人間が寄り添うのはすべて、対象喪失治療なのだ。

妹の息子を奪わなければ、妹が夫とうまくやっていたら、夫が死ななければ?、姉妹と夫婦で仲良く暮らすことができたなら、子供が産めなくても夫婦としてやっていけたら?

見殺しにした、って印象に残る言葉。弱者の無視、不満の無視、他人の無視。

無視が悲劇を生むなら、私はもう絶対に無視できない。あらゆることに目を見開いて、へとへとになっても心を動かす、注意深く観察する。感じて、できることをありったけ考え抜いてやる。実行したことのフィードバックも忘れずに。

今までわかっていたのに、怖くてできなかった。感情抑えても、どこかで無理してる。怒ってる。被害者の自分に。もしかしたらそれすらわかってなかったかもしれない。

哀しい。私の中にも彼女がいる。

悲しみを全力で受け止める。すくいとって、必ず天に返す。その作業をマスターする。