感動することの効用

  

 

 

アンナ・カレーニナ [DVD]

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アンナのように奔放に、自由に生きて現実世界にあらがうのか、リョ―ヴィンのように自己の律した信念と魂に従って生きるのか。

アンナが夫の本当の愛情を感じ取ることができていたら、夫がもう少しだけ自分を許すことができたなら、アンナはあんな最後をとげずにすんだんじゃないか?

ルールに縛られたくない、自分に正直に、自由に生きたいと思うアンナは、無鉄砲で計算がなく愚かだけど好き。

トルストイは享楽は破滅で、許しと自律は幸福だといいたかったんだろうけど、魂に従って生きることの、なんて難しいことだろう。

欲望がかき消す心の声に耳をそばだてよう。感情を動かすと、不思議と心が湖のように落ち着いてくる。ささいなことで気が散らない、自分の心に集中できる。自分の扉がひらく。

[人間はなぜ、攻撃性(aggressiveness)や怒り(anger)を

感じるのか?・フラストレーション-攻撃仮説]

 

人間はなぜ、攻撃性(aggressiveness)や怒りを感じるのか?・フラストレーション-攻撃仮説

心理学における攻撃性(aggressiveness)とは、破壊衝動や怒り・恐怖の情動が外面的に表現されたものであり、『他者否定の欲求』『自己否定の認知』の矛盾する欲求(認知)が含まれるものである。攻撃性を発動する究極的な目標は『自己防衛的(プライド保護的)あるいは他者否定的な欲求の実現』であり、その背景には何らかの満たされないフラストレーション(欲求不満)に耳の高まりがある。心理学者のJ.ダラード(J.Dollard)は、『フラストレーション-攻撃仮説(欲求不満-攻撃仮説)』を提示して、人間は『他者・自己・社会に対する欲求』が満たされなければ満たされないほど、自尊心(自己肯定感)が傷つきイライラとして攻撃的になることを示した。

S.フロイトやメラニー・クラインなどの精神分析理論(自我心理学・対象関係論)によると、『死の本能(タナトス)』に基づく破壊衝動や攻撃衝動は本能的なものであるが、文化的な環境や両親からのしつけ、教育的な指導によって破壊衝動(攻撃衝動)は適度なレベルへ調整されていく。あるいは、危険な破壊衝動や攻撃欲求は、建設的な行動や適応的な感情へと昇華・転換されていき、『他者に対する暴力・社会に対する攻撃』のような反社会的行動を見せる人は減っていくようになる。しかし、破壊衝動の現れとしての『怒りの情動』は、人間にとって遺伝的な基盤を持つ本能的な情動であり、自己防衛を目的として『怒りの情動』が生起してくることがある。

人間がどんな時に『怒りの情動』と相関した攻撃性を発現するのかを考えてみると、大きく以下の6つのケースに分類することができるが、最も本質的な怒りと攻撃性の原因はやはり6番目に掲げた『生存欲求を含む自分のさまざまな欲求の充足が阻害されているフラストレーション状況』だろう。産業構造や評価システムが複雑化した文明社会では特に、他人や社会から自分の有能性や魅力、存在価値が認められない時に『承認欲求のフラストレーション』が起こりやすい。

1.他者や社会から『身体的な危害・損傷・攻撃』を加えられた時に起こる『自己防衛的な怒りや攻撃性』。

2.他者や社会から『精神的な侮辱・差別・名誉毀損(誹謗中傷)』を加えられた時に起こる『自尊心(自己の尊厳)に基づく怒りや攻撃性』。

3.自分の大切な『家族・友人・知人』が傷つけられたり殺されたりした時に起こる『共感性と復讐心に基づく怒りや攻撃性』。

4.自分が所有権を主張できる『財産・金銭・債権』が奪われたり盗まれたりした時に起こる『財産保護的な怒りや攻撃性』。

5.社会的な不正(犯罪)や人権無視の悪事(圧制)が罷り通っていて『倫理的な意見・常識的な判断・共感的な優しさ』などが否定されている時に起こる『倫理感情や公共心に基づく怒りや攻撃性』。

6.自分の他者や社会に対するさまざまな欲求(本能的欲求・自己の正当性・社会的な倫理観)が満たされない時に起こる『フラストレーション(欲求不満)に基づく怒りや攻撃性』。

他者や社会との関係性に敏感な人が多い現代社会では、『誰からも自分の価値や魅力を認めてもらえない』という承認欲求の不全感が、フラストレーションによる怒りや自己否定の最大の原因になっている風潮が見られる。例えば、会社から突然のレイオフ(解雇)にあって社会的な承認欲求が満たされず、金銭に余裕がなくなって恋人(妻)から逃げられ対人的な承認欲求が満たされなくなれば、大抵の人はフラストレーションによる激しい怒り、あるいは、自己否定的で悲観的な認知に捉われてしまうだろう。破滅的な結果を招くことが多い怒りや攻撃性を緩和していく最高の方法は、極度のフラストレーションに陥らないように相互的な信頼感や肯定感を強めていくことであり、『自分の感情や意見に深く共感してくれる相手(配偶者・恋人・友人)』を大切にしていくことである。

 

自分の中の常識や、長年築いた自分のスタンスを覆されることへの拒否、ひいては、自分のテリトリーのなかの異物排除は、人間の生存欲求で、ものすごく自然なこと。じゃわたしはそういった常識を知らないとか、他人を肯定できてないところから問題なのか

ルールに縛りつけられて、自分を肯定できないまま、愛する人さえ失ってしまうの?

やばいやばい

 

 これも自己肯定のお話。自分と似た境遇の娘を助けようとすることで自分の対象喪失治療を行う。こんなんばっかり、ものすごい勢いで、人助けしろって言われてるようだ(笑)

本当の愛情がなんなのか、本当の自分がなんなのか、ひいては人間ってなんなのか、逃げずに研究していく。